新年度・年度初め

素朴な疑問ですが、年の初めは1月1日に対して、学校や会計の新年度・年度初めが4月1日なのは何故でしょうか?

日本の長い歴史の中では、この「年」と「年度」が一致していたり、7月が年度の始まりであったりと、何度か変遷を遂げているようです。

今日は50数年生きてきて、ふと気になった「新年度・年度初めが4月1日の本当の理由」「年度と年の始まりの違い」について調査してみようと思います。

新年度・年度は四季・農作物に由来する?

4月は「春夏秋冬」のトップの時期、草花が一斉に芽吹き自然界のスタートというイメージがあります。

また、田おこし、田植えを4月に行い、秋には収穫、税金(古くは年貢米)を納めるという農業のサイクルとも見事に合致しています。

一見、新年度・年度初めはいかにも日本の四季や農業サイクルに由来して理にかなっているように思えます。

ところが、実は今の年度の始まりは全く人為的なものだとしたら驚きますよね。

時は明治の頃今から150年程前に「大蔵省のトップの決算次期の改ざん(機転)」が関係していたのです。

年と年度が同じ時期もあった

江戸時代が終わり、明治のはじめに西暦が使われるようになった頃、新年度・年度初めは1月1日年の初めと同じでした。

ところが、明治8年に年度を税収の時期(7月スタート6月終わり)に合わせるようになり、これが10年間続きます。

このころ富国強兵に力を入れていた日本は武器購入などで予算を大幅にオーバーし国の財政を圧迫しました。

赤字会計となるのを恐れた大蔵卿・松方正義氏はこの危機の解消にちょっとヤバイ方法で乗り切ります。

新年度の始まりは財政危機が理由!?

そのカラクリは本来6月の〆を3月に変更し、3ヵ月短くなった分無理やり黒字経営にみせかけたのです。(と国立図書館に記録が残っている。)

ちなみに当時は明確な法律がなかったことから、この明らかに改ざんのような会計にはおとがめがありませんでした。

それどころか、松方正義氏は後に大蔵大臣「財政の父」と呼ばれ、その後2度も総理大臣を歴任しています。

つじつまを合わせるように翌明治19年からは4月を年度初めとし、現在に至っています。

おわりに

今日は新年度・年度初めが4月1日になった本当の理由についてお伝えしました。

年度と年の始まりの違いは実は赤字決算を出さないために時の大蔵省のトップが機転をきかし、決算の時期を変更したためという結論となります。

苦肉の策であった年度の始まりでしたが、おかげで卒業、入学式などの別れと出会い時期と桜や草花の芽吹きと重なってふさわしい時期だと誰もが疑いわないでしょう。

今問題となっている森友問題・財務省の改ざんとは違い、今から150年前に実に大胆なアイデアで日本経済の危機を乗り切ってくれたおかげです。